■JTCC参加の歴史
1994年7月、「アルファ コルセ(イタリア)」から送られてきた「ALFA ROMEO 155 D2」は洗練されたボディシェルに加え、車体の剛性、サスペンションの安定、制動力に優れたブレーキ、パワフルなエンジンなど今までの考えに及ばないほど美しく素晴らしい車輌でした。 同月、当時若干20歳だったチームマネージャー大川謙治(現在代表取締役)率いる「Team KenZi」でサルーンカー部門のJTCC(Japan Touring Car Chiampionship)に参戦したのです。
しかし、素晴らしい車輌なだけに見合うべきチーム体制がとれず、日本人チームスタッフを全員解雇し、このワークスマシンを取り扱えるイタリア人スタッフの採用に踏み切ったのです。
イタリアを訪問した謙治はアルファ コルセの最高責任者ジョルジョ・ピアンタ氏にアドバイスを求めその採用に全力を注ぎました。その甲斐あって採用したスタッフは、最大限の力を発揮してくれました。しかし彼は全てに満足していたわけではなかったのです。「チームが勝利する為には車、ドライバー、エンジニア、メカニック、工場設備、マネージメントのバランスが大切であり、それに加え私の強固なまでの精神力が必要である。」と常に感じていたからです。
■JTCC成績
【1994年 タイヤ:ミシュラン】 |
イベント |
予選 |
決勝 |
開催サーキット |
ドライバー |
第8イベント(15戦/16戦) |
4位 |
14位/4位 |
仙台ハイランド |
ジャンバティスタ・ブーシ |
第9イベント(17戦/18戦) |
7位 |
10位/27位 |
富士スピードウェイ |
ジャンバティスタ・ブーシ |
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【1995年 タイヤ:ブリヂストン】 |
イベント |
予選 |
決勝 |
開催サーキット |
ドライバー |
第4イベント(7戦/8戦) |
17位 |
リタイア/出走せず |
鈴鹿サーキット |
桧井保孝 |
第6イベント(11戦/12戦) |
19位 |
10位/13位 |
TIサーキット |
ジャンバティスタ・ブーシ |
第8イベント(15戦/16戦) |
26位 |
20位/25位 |
富士スピードウェイ |
ジャンバティスタ・ブーシ |
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■JTCC第8イベント
1994年9月24日〜25日の様子を簡単にご紹介します
第8イベント、決勝レース。第1レースでブーシはいきなりJTCCの激しい洗礼を受ける。スタート後の1コーナー、そこはスタート良く飛び出したアンソニー・レイドのオペルのスピンをきっかけに混乱し、ブーシは8番手に順位を落とす。それでも速さには折り紙つきのアルファロメオ155。じわじわと追い上げ、レース中盤には5番手まで挽回した。ところが、ここで電気系トラブルが発生し、エンジンが1気筒死んでしまう。こうして第1レースを14位で終えたのであった。 電気系トラブルはインターバルの間に修理が完了し、第2レースに臨む。今度は1周目で一気に7番手へ浮上。その後、ブーシは着々と順位を上げ、10周目にして3番手を得た。しかし、残り5周というところで、前半の追い上げで激しく消耗させてしまったタイヤが限界に達し、後続の関谷正徳氏のコロナに抜かれ、4位でフィニッシュとなった。
■ALFA ROMEO 155 D2 'SILVERSTONE'
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車 輌 名 | アルファロメオ155D2“シルバーストーン” |
カ ラ ー | イタリアン・レッド |
全 長 | 4,443mm |
全 幅 | 1,730mm |
全 高 | 1,410mm |
ホイールベース | 2,540mm |
ト レ ッ ド | Front1,469mm Rear1,411mm |
重 量 | 975kg |
エ ン ジ ン | 1,998c.c.横置き直列4気筒DOHC16vエンジン |
ボア/ストーク | 86mm×86mm |
最 高 出 力 | 285HP×8,400RPM |
最 大 トルク | 24.8kgm/7,000RPM |
変 速 機 | ヒューランド製6速シーケンシャルトランスミッション |
インジェクション | MAGNETI MARELLI |
コンピュータ | MAGNETI MARELLI |
ク ラ ッ チ | ツインプレート |
ショックアブソーバー | BILSTEIN |
ブ レ ー キ | brembo (F)8ポット (R)4ポット |
ホ イ ー ル | speedline 8.25×18 |
タ イ ヤ | MICHELIN 22/65-18 |
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